2009年04月14日

富岡製糸工場に行きました。







草津温泉の帰りに富岡の製糸工場の見学に行きました。

市の駐車場から、歩いて200メートル。

段々近づいてくると、その建物の大きさがわかります。

ちょうど後から団体さんが着きました。

団体さんには、説明の係りの方が付きます。

団体さんに混じって説明を受けながら工場見学をすることに

しました。


工場といっても、今は操業してはいません。

その説明をうろ覚えに、書き留めると、

明治政府は、開国したものの、世界に輸出する商品が生糸や、絹織物

で大半をしめたそうです。


ところが、その商品は、個人の内職のような

製品しかなかったため、どうしても官製の工場が必要になったらしい

のです。

設計は明治3年、明治4年に建て始め、明治5年竣工。

フランスから、設計,技師、専門の女工さんを呼んだとのことです。

女工さんの写真がありました、19歳から23歳までの4人の女性達で

す。

工場の規模に驚きです。

倉庫が2棟。いずれも横幅20m、長さ100mです。

生糸を繭玉から取る工場は、同じ位の横幅に長さが140mです。

当時は、電気がなかったため、ガラス窓が、多く使われています。

杉の柱にレンガが組み込まれています。1891年竣工ですから、

117年も経っています。内部は、いまでもがっしりです。


昭和64年まで操業していたそうです。

フランスから来た女工さんたちは、1年足らずでみんなストレス性の

病気になって帰国したようです。


その後、日本全国の県から集められた

女性達が全国に散らばり、各地の製糸工場の女工さんたちの草分けに

なったようです。

野麦峠の女工哀史は、はるかあとの大正

の時代の話だそうです。


建物を見ると、明治の人達の気骨をみるようです。

http://www.warabi.ne.jp/~fabric21/newpage.2html  


Posted by 青ちゃん (有)ファブリックバンテア at 12:11Comments(0)暮らし